昨年、名優高倉健さんが亡くなりました。
高倉健さんといったら、寡黙な男性の代表格です。
言葉は少なくても、背中で語るようなタンディズムが多くの女性を
魅了したものです。
とにかく、男は「ぺちゃくちゃおしゃべりをするものではない」という
気風があったように思います。
現に、昭和30年代前半に誕生した私の弟はとてもおしゃべりでした。
ぺちゃくちゃとまるで放送局のようだったのです(笑)。
それで、母に「男なんだから、少しは大人しくしなさい」とよく言われて
いたのを私は思い出します。
その後、母の教育が功を成したのか、彼は成長するに従い寡黙になりました。
今は賑やかな娘2人のおしゃべりを側で聞いているのが楽しいんだそうですよ。
さてさて、このように「寡黙な男」がもてはやされたのは昔の話。
今はというと、どうでしょう。
しゃべりがうまいとまでいかなくても、ある程度しゃべれなくては
コミュニケーション力がない男性と見なされてしまいます。
背中で哀愁を漂わせてもダメ(笑)。
「僕の言いたいことは、わかってくれるだろう・・・」と相手に期待してもダメ。
言葉で表現できなければ、相手には通じないのです。
以心伝心なんてない。
それに対して、男性とたくさん話し合ってお互いの心を通じ合わせたいと思っている女性。
このように、「話すこと」に対する価値の置き方が、男性と女性では
違っているのです。
しゃべれない男性は、このことを理解しないと、何の対策も立てないうちから
どんどん振られてしまうかもしれません。
といって、別に女性のおしゃべりのテンポに合わせる必要はないのですが、
女性の話に付き合えるだけの「話す技術・聞く技術」を身につける必要があります。
ともあれ、会話がなさすぎるのは女性にとってストレスになり、長々と女性の
おしゃべりにお付き合いするのは男性にとってストレスになります。
とくかく男性と女性では「しゃべること」に対する感覚が違うのですから。
このことをわかった上で、コミュニケーションをとろうとする姿勢が
お互いに求められるのです。
が、やはり言葉の重要性はこれからますます必要となってくるでしょうね。