「気遣い」とは「する人」と「される人」の共同作業

ずいぶん前に女性会員さんから聞いた話なのですが、「○○さんにいろいろ気遣いをしてあげても『ありがとう』の言葉がない。他は問題ないのですが、感謝の気持ちが足りない人のように思える」というわけです。

どうやら、彼女の気遣いが相手に伝わっていないようでした。

それに対して私は、「あなたは彼に対して気遣いしていると言っているが、彼にとっては「そんなの普通」と思っているかもしれないね」と彼女に話した覚えがあります。

そんな話を思い出したのは、たまたま見たテレビ番組で武田鉄矢さんが興味深いことを言っていたからです。

それは、いくら良い「おもてなし」をしても、それを受ける人に察するセンスがなければ「おもてなし」は成立しないということ。

そこで武田さんが例として持ち出したのは、石田三成の「三杯の茶」の逸話。

三成が秀吉に見出されるきっかけとなったと言われている話です。

三成がまだ寺小姓だった頃、鷹狩の帰りに立ち寄った秀吉からお茶を所望され、一杯めは飲みやすくぬるめのお茶を、二杯めはやや熱めのお茶、三杯めに味が最も際立つ熱めのお茶を出した、という話。

その心遣い(おもてなし)に感服した秀吉が三成を城に連れ帰ったということですが、もし秀吉が三成の心遣いに気づかず、お茶を三杯、ただ飲んで立ち去っていたとしたら・・・・?

つまり、「おもてなし」とは、「する人」と「される人」の共同作業である、と言えるのです。

いくら気遣っても、相手がそれに気づかなければその気遣いは無となる、ということ。

これは、婚活の場面ではよく直面することではないでしょうか。

ほら、「察してくれない」「気がつかない」「女心がわからない」などと、つい口から出てしまっていませんか?

いくらこちらが頑張って気遣いしても、相手に気づくセンスがなければ、どうしようもない・・・。

要するに、自分の気持ちが相手に伝わるかどうかは相手次第であり、そこで一喜一憂しても仕方がないと考えるのがいいのかもしれませんね。