「別れの告白」

「異性として好きだったわけじゃない。一人の人間として好きだったの」


と、私の友人の一人が付き合っていた彼女から言われました。



当時、彼は同じ学部の女性と交際していましたが、


どうやら彼女に好きな人ができたらしいのです。



彼としたら、お互いに好きだから

付き合っていたと思ったのに・・・


いや、確かにお互いに好きだから付き合っていた。



それなのに、それなのに、一人の人間として好きだった・・・


って、まったく意味不明な言葉。



なぜハッキリと 「好きな人ができたから別れたい」 と言えないのか!



好きだった という事実まで否定された。


2人で作ってきた思い出を踏みにじられた。



お酒を飲みながら、


「俺、恋愛不信になりそうだよ・・」


と絞りだすように言う、彼のやるせない気持ちを聞きながら、


口ぐちに、


「うん。わかるよ」


「う~ん。わかる」


と仲間で彼を慰めた遠い日を思い出します。



先日、メールマガジン 【痛快!恋する格言(第79快)】を読んでいて


遠いあの日と同じことが書いてあるじゃありませんか。



発行されているリョウスケさんによると、


「恋とはカッコ悪いものだ」 以上にもっとカッコ悪い恋もある、


と。


「恋とはカッコ悪いものだ」とは、なかなか良い方へ


展開していかないスリキズだらけの恋愛を指したものだそうです。



それも恋以前に、生き方としてカッコ悪いと


言っても過言じゃないと書いておられます。



それが、


「異性としてじゃなく、一人の人間として好きだった」


です。



リョウスケさんは、これを 「恋の改ざん」 と名付けました。



私は、上手い言い方だなぁ と感心してしまいました。



私は、この 「恋の改ざん」 をしてしまう気持ちを、


異性として好きだったけれども付き合っていくうちに、


ちょっと違うかな・・・と思ってきた。


でも、相手には言い出せない。


なぜなら、相手も傷つくし自分も傷つくから。



よし、今のうちにこの恋なかったことにしちゃえ!と。



そして、「異性としてじゃなくて、人間として好き」 は、


一見相手のことを思っているように聞こえる


体裁のいい言い方なのです。



言われた方は、ガーンとパンチを喰らわされるわけでもないし、


エッ!?何・・・それ、人間として好きって・・


頭の中の回線がグルグルと混乱状態になるでしょう。多分。



でも、でも、どうひっくり返そうが、


「別れの告白」 には違いないのです。



相手を傷つけるのがイヤ。


自分も傷つきたくない。



短い長いに関係なく、二人は恋心を感じたからこそ


付き合ってきたはず。


その心の中まで、打ち消そうとすること。



私は、これはやっちゃいけないことだと思うのです。



恋とは、振られたり、振ったり


心の中のどこかで、ピューと血がふき出す


ような痛みを伴うものなのです。



そして、心の中の傷が、いつかはカサブタができ、


だんだんと治癒していく・・・


しかし、苦しい思いとは引き換えに、


恋の苦しさ、辛さ、喜びがわかるようになります。


それが、成長したってことなのです。



そのプロセスの苦しさを避けて通ろうとする人には、


新たに恋をしても、また この恋なかったことにして


と、言うかもしれない。


なぜなら、人生では、避けてきた問題は


宿題として何度も繰り返されるからです。



そして、一番大事なことは、


これは、自分で自分の輝かしい未来を遠ざけてしまっているのです。



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